こんにちわ
無主体無気力無関心無能力チー牛の僕は特にやりたい事も無く、最近はもっぱらずっとXを見ているのですが、多種多様な極論と激エロケモ画像が交互に飛んできて飽きなく面白いし、受動的に眺めるだけでいいから性にも合っている
ただ、それを見ていると毎回モヤモヤすることがあって、やたらと「言語化能力」なるものが持ち上げられている
「言語化してくれてありがたい」
「良い言語化」
「言語化能力の高い男はモテる‼️」←??
こういうのを見るたびに毎回うっすら気持ち悪くなるのですが、その不快感の正体を整理する為にも、一度ちゃんと言葉にしてみようと思った
ちゃんと言葉にしてみようなどと大層なことを言ってしまったが、僕が言語化能力という言葉に気持ち悪さを感じる理由は単純で、そもそも自然言語そのものが、そこまで信用に値する物ではないし、気持ち悪いと思うから
人はさぞ当たり前かのように自然言語を使っているが、よく考えるとかなり異常な事をしていると思う
例えばウンコという概念もそう
当然のようにウンコを独立した実体として扱っているが、実際にはそれ単独で成立している訳ではない、人間の排泄物という上位概念から小便、精液、血液、その他諸々を捨象し、差異として切り分けられたものを、人はウンコと呼んでいるに過ぎない
つまり、ウンコという言葉の意味もまた、ウンコではないものとの対比によって成立している
これは他の概念も同様(例えば戦争と平和、長所と短所、文系と理系、善と悪)
いつしかそれらを独立した概念だと思い込んでいるが、実際には互いの差異によって輪郭を与え合っているだけである
しかし三次元な現実世界は、本来そこまで綺麗に分離していなく、何事も連続的ですから、こういう離散的な記号によって完全に表現する事は不可能ですよね
しかも厄介なのは、物事の意味や価値というのは、その人の考えや状況によって容易に反転すること
ある人間にとっての善は、別の人間にとっては悪になるだろうし、ある状況では長所だった性質が、別の状況では短所になる
にも関わらず、自然言語はそういった曖昧で、流動的なものをこれは善、これは悪、これは長所、これは短所と無理矢理一義的なものとして扱おうとする
僕が自然言語に気持ち悪さを感じる理由は、多分そこにある
最初に戻るが、これを踏まえて、最近やたらと持ち上げられている言語化能力という言葉にも、違和感を覚える
一般的に、物事を綺麗にラベル分けし、それっぽく説明出来る人間を頭がいいと評価されると思う
だが、実際にはそれは逆で、彼らがやっているのは、複雑で連続的な美しいグラデーションに満ちた現実をあえて一次元まで落として、都合よく切り取った記号を並べているに過ぎない
現実を深く理解しているから言語化できているのではなく、むしろ現実の複雑さから目を背けて脳死でかみ砕いてるから、綺麗に言語化できているだけなのに、彼らが作った文脈、感覚、曖昧さを削ぎ落とした記号列を見て、本質を突いている、頭がいい、ありがとうなどと持ち上げ始める
そう考えると、言語化能力とやらが、薄っぺらくて、気持ち悪いものに見えてくるよね