1.

折れのコミュニティに参加したメンバーYの第一声:

「〇〇(コミュニティ名)いいな 常連になりたいな」

3年後:

「〇〇はゴミや,不登校を拗らせた青春コンプレックスが己の過去の栄光である学歴のみを生き甲斐とし,品行方正で正しい道を征かんとする現役の学生達を見下しては,他コミュニティを協働して荒らすことで,当時得られなかった青春を補完して,冷笑と称して他者を馬鹿にし,傷の舐めあいをしている,社会の落伍者が集結する発達障害者の巣窟や.」

別にインターネットに限った話ではありませんが,当初は相手の美点を認めたり,肯定するかのような態度を取ったり,発言をしたりしていたのにも関わらず,あるタイミングから突如として,それを覆すかのような矛盾した態度を取ってくる輩が一定数存在します.一見すると不可解極まりなく,折れがヒトラーなら申し訳ないがアウシュビッツのシャワー室,もしくは佐藤楓 宅の浴室送りとするところですが,しかし我々現代日本人の文化的習性を紐解けば,意外と理解に容易く,説明可能な行動でした.

佐藤楓 宅の浴室(イメージ)

一般の日本人は生まれながらにして自尊心に欠けています.良く言えば謙虚.良く言う必要はないけど.他人から肯定的な評価を受ければ,”いやいや”とか”とんでもない”とか,とにかく相手の好意に対して否定的な態度を取ることが礼儀であり美徳とされています.すなわち自身の所有する要素について,何かにつけて卑下する体質を持っているという事です.自分の息子を愚息と言ったり,妻を愚妻と言ったりします.

日本は古くから村社会で,同法融和・出る杭は打たれる環境であったことが一因かと思いますが,この”相手を上げ,自身を下げる”という構図こそが,現代に生きる日本人であるメンバーYの発言にも活きている事が分かります.

メンバーYが参加した当初,Yにとって折れは赤の他人でした.持ち上げなければなりません.しかし3年と言う年月を経て,彼にはある種の帰属意識が芽生えたのだと考えられます.自身の有する要素,自身のコミュニティであり自身の居場所であると,彼が認識したのだからこそ,彼は折れ達に対して”下げる”発言を繰り返すようになったのです.

つまるところ,これは我々にとって,もはや喜ばしいポジティブな事象であり,心身ともに,真に彼がこのコミュニティの一員となったことを証明する強力な裏付けとなります.

みなさまにおかれましても,実生活でこのような事に遭遇したとして,悲観的に受け取らず,むしろ相手に認めて貰ったのだという事実に対して,嬉しがりましょう.

2.

人には何か活きる上で楽しみがあって,それを頼りに皆活きているのだと思います.

折れはそれを持ち合わせていません.確かに,ミクロ的に見れば楽しい事や,嬉しい事はある程度有しているかもしれません.単に”人との会話が面白くて楽しい”とか”今日は先生や上司が居なくて嬉しい”とかね.

しかし,それらはあいにく,即時失われます.その楽しさを享受できるのは,リアルタイムでその行動を起こしている現時点のみであり,それを停止すれば楽しみは消え失せます.先の例で征けば,会話を楽しいと思えるのは会話をしている時点のみであって,会話を辞めれば,その楽しさは享受できません.

楽しみが失われれば虚無感のみが残りますが,街ゆく人々は文系卒限界営業サラリーマン(自業自得)を除いてみな楽しそうです.一人で歩いているだけなのに.なぜでしょうか.

楽しみにはもう一つ,マクロ的な楽しみという物があると考えます.これがあまりにも強力で,人生の後ろ盾となる要素であり,何か辛い事に直面しても,”折れにはこれがあるから”などと考える事が出来,良い意味で現実逃避をすることが出来る.

一般の皆さんは,これを1つでも持ち合わせていることが多いと思います.例えば,”折れには友達が多い”とか”折れには恋人がいる”,”折れには子供がいる”,”金がある”,”時間的な余裕がある”,etc…

対して筆者であるこの折れは,発達障害者アスペADHDのせいにするつもりはありませんが,社会であまりうまく行きません.傍から見れば,むしろ人付き合いはまともに出来ていると言われますが,中々心労が絶えない.この程度で心労を感じるのだから,すなわち社会で活きるだけで毎日精神を擦り減らしている状態です.社会的忌み子と言えます.

社会的忌み子には当然,先に揚げたような”マクロ的な楽しみ”は持ち合わせていません.ではどのように今まで生きながらえてきたのかというと,先々にとにかく色々な予定を立てるんです.

何でも良いですが,折れは何か商品を買って,それを開封するのが好きですから,割と無理してまで様々な物を購入し,それが届くまでを人生の楽しみとして活きてきました.

ですが,最近全体的な感受性が欠落し始めているのかも分かりませんが,何か締め切りが迫っても焦る事が出来なくなったり,遅刻しても罪悪感を一切感じなくなってしまったのと同時に,商品を買って,それが届いて,開封をして,遊んでも嬉しく感じなくなってしまいました.

直近では,大枚をはたいて携帯型のゲーミングPCなるものを購入しました.数年前からずっと欲しかったモデルなんですが,本来であれば念願の商品が手元に届いたのだから,嬉しくて堪らないはずですが,以前ほど嬉しくない.常磐早苗が飛び跳ねたのかと言うくらい手が震えるほどのアドレナリンが湧きだしてきたはずなのに,全然心に響かないんですね.これを以て,とうとう主体的にミクロ的な楽しみを探求することが出来なくなってしまったわけです.

そんな今とは対照的に,子どものころは毎日が刺激的で,ミクロ的な楽しみに満ち溢れていて,とにかく楽しくて仕方ありませんでした.私は幼いときから図鑑とか専門書とかwikipediaが好きで,そこで貯め込んだ知識を,友人に対して半ば強引に語っては悦に浸っていた頃を思い出します.陰キャラ煽りをされたら嫌なので他の思い出も書いておくと,夏祭りの屋台で買ったエアガンを使って友達と,ウクライナに派兵された北朝鮮兵もビビって逃げ出す程の激しい銃撃戦を繰り広げたり,冒険などと称して自転車に乗って,家から多少遠い所に遠征をして帰って来られなくなったり,少なくとも十数年後こうして,換気もしないから何か香ばしい香りが充満する,カーテンを閉め切った薄暗い部屋の隅で陰気なBlog記事を高速タイピングをもって書き連ねるとは考え付かない程度には,楽しい日々でした.

自分を賢いというつもりは毛頭ありませんが,知能的な要因も少なからずあるのだと思います.ゲラは何を言われても笑えるのだから,誰と会話をしても面白いのでしょうが,賢い方々は綿密に考えられたブラックジョークでしか笑えない.その時点で,”何を楽しいと感じられるか”というハードルが,知的な能力に比例して高くなっているのだと考えられます.実際,偉人とか有名人でなく,賢い一般人は殆どネガティブが多い印象です.

 

結局,マクロ的な楽しみも,ミクロ的な楽しみも持ち合わせていない折れは,毎日帰り際,公園のベンチに座り込んで,特に何をするわけでもなく,数時間ただ茫然と,白昼夢を見て過ごします.楽しかった小坊時代を思い浮かべては一人でにやけています.やがて日付が変わり,現実に引き戻されて再び帰路に就く.

折れの悲劇的な日常に思わず漢啼きをする,だんじり祭り参加チンピラ